芸人・イガラシソウルを救った詩(ポエム)

2024.05.21
コラム

イガラシソウル(本名:五十嵐 聡)
1977年7月14日生まれ。長野県佐久市出身/在住。長野県のお笑いナンバーワンを決めるコンテスト『リンゴスターN-1グランプリ』の決勝戦出場をきっかけに36歳でアマチュアから芸人を始める。以降、オフィスバード、オフィス北野、ソニーミュージックアーティスツ、スパンキープロダクションを経て、現在フリーで活動中。主な芸風はギャグとフリップネタ。

詩(ポエム)と聞いて、皆さんはどんなことを想像しますか?誰を思い浮かべますか?

私は約20年程前から詩を書くようになりました。当時、私は精神を病んでいて、そんな中で自分の心の声を吐き出す為、又、自分の寄るべき居場所にしていた行為が詩を書くという営みでした。当時の私にとってはそれが唯一の救いだったのです。

辛い時、苦しい時、悲しい時、音楽を聴くことってありますよね。歌には歌詞というものがあります。辛く苦しく悲しい時、これは私の主観ですが、人は歌を聴いて涙を流し、心を癒し、人間として成長をすることが人生の中であると思うのです。その時、メロディーより歌詞に救われるのではないかと私は思ったりします。

歌詞も詩も私にとっては変わりがあるものだとは思っていません。ただ、詩と対した時に、その詩に自分の人間としての器や経験、男性、女性としての想い、愛情、それらを備えていないと詩と向き合えない、いや、正確には正しく向き合えないものだと考えています。

救われた詩を紹介

私はこんな方々の詩に救われてきました。少しですがご紹介させて頂きます。

若松英輔(わかまつえいすけ)

1968年新潟生まれ。批評家・文芸評論家・随筆家・詩人。前東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。

若松英輔さんは詩人としての世間での認知度はあまりないかもしれないが、私はこの人の詩を始めて読んだ時、自然と美しいと感じた。若松さんは奥様を亡くされている。その深い深い悲しみが詩人としての若松さんを、皮肉ではあるが輝かせている。若松英輔さんの詩を是非とも、読んで頂きたい。

『美しいとき』
 
あなたといるとき
わたしは
自分のことを
忘れていられる
 
自分らしくあろうとすることや
うまくいかないことも
明日や未来や
不安や不満も
忘れている
 
懸命に
生きようとさえしないまま
今だけをじっと
味わっている
 
しあわせか
どうかも 考えず
ただ 今
このときだけは
美しいと 感じている

私はこの詩を美しいと感じたと同時に、私は美しいときを過ごせているかと自分に問うた。そして、私は今、まさに美しいときを過ごせていると思えたのだ。そう気付けたことが大きな救いであった。あなたは今、美しいときを過ごせていますか?そう誰かに問うてみて気付いたことがあります。私は美しいときを過ごせているが、私自身が美しい人間ではないということに。生まれてすみません(笑)

ビートたけし(びーとたけし)

1947年東京生まれ。日本のお笑いタレント、俳優、映画脚本家、監督。本名は北野 武(きたの たけし)。

誰もが知る世界の北野。ビートたけしさんだが、お笑い、映画があまりにも有名だが、実は私はこの方の書く詩に心が震えるのだ。騙されたと思ってこの詩を読んで頂きたい。

『社会生活』
 
マリオネットの人形のように
俺の、頭、首、肩、両手、腰、両足に
何本もの紐が結ばれている
その紐を、愛が、恋が、仕事が、家庭が、友が
勝手に引っ張る
俺は激しく、のたうち回る
早くこの紐を解かないと、俺は駄目になってしまう
でも解くと、立っていられなくなる

私はこの詩をビートたけしというタレントを北野武という一個人の心が悲鳴を上げている状態をマリオットの人形に模して表現した、ビートたけしさんらしい詩だと感じた。この詩は私に売れるだけが芸人ではなく、又、愛や友情でさえ、自分の足かせになること、いや、私が憧れた人間としても芸人としても目指していた大きな背中の裏では、色々な人に動かされるマリオットの人形のようだと自身を捉えていることに、長年、頂点に立たれている方の姿が夢も希望もない位置であることに少しホッとしたのだ。自分でも理由はわからないが、私にとっては救いであった。

なっちゃん(なっちゃん)

兵庫県生まれ。長野県在住。介護福祉士。2024年4月に長野県に移住し、最愛の人(私)と愛犬に囲まれながらパートナー(私)の影響で詩を書き始める。

『家族』
 
2日間という長くも短い時間
 
あなたと旅をした
何も変わらないであろう愛を
確かめに
 
9ヶ月という期間を大切な人と
過した
突然の別れと帰郷
 
それを温かく受け入れてくれた家族
苦しくも辛くもあった時を
支えてくれた
優しく手を差し伸べ
温かい料理で迎えてくれた
 
ときにぶつかり時に涙し
愛をもらった
 
いつかという言葉
またという
 
それは距離が離れていても
変えられないもの
 
大きなクルマの前で
家族だという証となるものを
得ることで最大の喜びとなり
 
責任という大きな課題
 
二人が家族になるとき
思い出すであろう
その一時(ひととき)
深い深い愛情へと変わる
 
この家族の一員として生まれて
あなたと出会えたことに…ありがとう

これはごく最近のことだ、私はパートナーと同居を始めた。もちろん将来も見据えて。その際、500キロ以上離れたパートナーの実家にレンタカーを借りて引っ越しの荷物を取りに行った
。その2日間のことを彼女が想いを込めて書いた詩だ。私はこの詩を読んで自らの覚悟を決めた。一人の男として。いや、芸人、イガラシソウルとして。いや、人間、五十嵐聡として。いや、最愛の女性に言われた春風亭小朝として(笑)

植草四郎(うえくさしろう)

長野県生まれ。長野県在住。詩人・朗読家。農業の傍ら詩人、朗読家として多岐に渡る活動をしている。

この方は私と10年来の付き合いになる深い中にある方だ。植草さんが遊びのない詩を朗読しているところをあまり目にしたことがない。基本的に下ネタかよくわからない笑いの要素を含んだ詩を朗読されていることが多い。そんな植草四郎さんの書いた一編の詩を読んで頂きたい。

『こんなに頑張ったのに餅二個』
 
こんなに頑張ったのに餅二個
なんてヒドイじゃない
長年尽くしたのに餅二個
しかくれないなんて
ひどすぎる
 
そう言ったら
お前は強欲だ
しかも無能だ
お前の頑張りは当然のこと
お前の年月はなんでもない
お前には元来 何の権利もない
お前は最初同意したじゃないか
騙されたなんて言うなよ
今までそれでもやり続けたって
事実はもはや真実だ
 
お前はただのいい人
お前は誰にとっても
都合のいいヤツ
これからどんなふうに頑張ったって
お前には餅二個
三個じゃない
四個でもない
餅二個
 
俺はあまりのムカつきに
餅を1個投げつけて
そいつは餅に当たって死んだ
俺の元に残った餅1個
その餅を君にあげよう
愛する君に
そしてもしよかったら
その餅を半分にして
君が僕にくれないか
君がくれるなら
俺は餅半分で十分だ

この詩を書かれた植草四郎さんは、私をメインコンテンツにしたYouTubeチャンネル「イガラシソウル Asobi Channel」のプロデューサーであり編集をしてくださっている方だ。この方はめったに真面目な詩は書かない。表現の自由という問題において詩人であり朗読家である植草四郎さんが書かれたこのような詩は笑いの要素をふんだんに含ませつつ、実は良い話でオチるという、詩人が笑いを取りに行き、美談で裏切る。こんな芸当が出来るということに、私は救われたのだ。可能性というものを芸人である私がこの詩を読んで強く感じた。日頃からお世話になっているのでここで感謝の言葉を述べたい。植草さん、編集のペース、落ちてまっせ、はよ、次の動画を上げてください(笑)ホントにいつもありがとうございます。これからも、何卒、よろしくお願い致します。

【イガラシソウル Asobi Channel】
https://youtube.com/@asobichannel8592?si=riAooLfAOxYJFU2Q

詩を書くということ

詩を書くこと、これは誰にでも出来る。日記ともこのようなコラムとも違う、作品と呼ばれることが許される、もしくはそれとして独立している文章。そして、その詩の中でも私が書く詩は一般的に抒情詩(じょじょうし)と呼ばれるものに入るだろう。抒情詩は、詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩だと言われている。私は基本的に自分のことしか書かない。いや、書けないのだ。私が詩を書く時というのはたいてい気持ちが落ちてる時だ。幸せになればなるほど書けなくなる。皮肉なものだ。私が詩を書き始めて20年程と先に書いたが、20代の頃、私にとって詩を書くという行為は、死んだ後に何か残るものをという意識が強かった。しかし、今は生きる為に詩を書いている。どうなるかわからない明日への不安を、思うようにいかない人生を、大切な人への想いを、自分という人間を理解する為に、又、理解してもらう為に私は詩を書く。

イガラシソウルの詩

『イガラシソウルを救った詩』というテーマで書いてきたが、いろんな方の詩を読むこと、そして、きっと私にとって詩を書くという営みは、生きることそのものであると思うのだ。書くことでひとつ乗り越えて、書いたことでひとつ傷跡を付け、私は詩を書くことでより生かされて、また苦しまされているのかもしれない。「詩に救われる」私は歌詞を聴くことから、詩を読むことから、書くことへと移っていった。詩と出会い、詩と共に生きて、詩で救われてきた。もし、私の詩で一人でも救われたと思えた人がいれば、私の生きた証となる。私が詩で救われたように。最後に私の自作詩を二編載せさせて頂きます。読んで頂けたら幸いです。

『主役』
 
ライブ出番直前
あんたは一人で一生懸命
ツッコミのフレーズを繰り返してた
その時、俺は地べたにしゃがんでいた
結果、本番で俺が台詞を飛ばした
大袈裟に言うようだけど
人生ってこういうことだと思うんだ
 
ダブルソウルのリーダーは
間違いなくあんただ
でも、あんたは主役を
いつも俺にくれる
主役が三文芝居しか出来ないから
M-1一回戦で落ち続けるんだ
 
ライブ後、二人で打ち上げ
俺は酒は飲めないが
あんたとの宴は楽しかった
ドリンクは少し苦かったけど
今度はM-1の後
格別に美味い酒を二人で飲もう
その為にあんたは脇を固めてくれ
俺は一流の主役を演じるから

『再会』
 
あなたと初めて会いました
一ヶ月間、二人で温めてきた
愛の交換ができました
 
あなたと過ごした時間はまるで
幻のようで
ホントに儚くて
青春時代のように眩しくて
それでいて老夫婦のように愛おしくて
言葉で表現するには
あまりにも足りなくて
そんな時間でした
 
別れ際、あなたは涙を浮かべ
「時間が止まってほしい」
と呟きました
そんなあなたに
「時間は止まらないよ」
と答える僕は実はあなた以上に
「時間が止まってほしい」
と願っていました
 
あなたと初めて会いました
• • • • • • • • • •
その初めてがまるで
二人の再会のようでした
僕には持病があり
恐ろしいくらいに
辛く苦しく悲しい思いをしてきました
 
芸人になっても日の目を見ることもなく
負けてばかりの人生
 
あなたは僕より深刻な病気を抱え
僕なんかの何百倍も生きる厳しさと
闘っている
そして語るのも聞くのも
辛い過去がある
 
そんな僕らだから
二人の間に愛が芽生えたとも
思っています
 
僕は神を信じてませんが
唯一、神を信じられるとしたら
あなたと出会わせてくれた
いや、再会させてくれた
ことだと思っています
 
あなたに贈る言葉はやっぱり
僕の持ち得る限りの言葉を
尽くしても見つかりません
ただ、何か言葉で表現しなければ
いけないとすれば
あなたが最期を迎える時に
「ああ、幸せな人生だった」
と思ってもらえるような人生を
二人で生きることです

ここまで来てようやくわかった。私はだいぶ勘違いをした変態ナルシストだということに…キモイ(笑)。

しかし、そんなイガラシソウルが私は好きだ。
以上、イガラシソウルでした。ありがとうございました。

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