
「村上、元気そうでよかった」インタビュー
まだ世間には広く知られていないが、その才能と個性が光る存在にスポットを当てるインタビュー企画「何者」。
記念すべき1回目は、マセキ芸能社所属のピン芸人「村上、元気そうでよかった。」さんです。
プロ野球選手を夢見て走り続けてきた彼が、なぜ芸人の世界へと足を踏み入れたのか。大学3年のコロナ禍、友人からの突然の誘いが転機となりました。
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プロ野球の夢から芸人の道へ。転機は大学3年のコロナ禍
ーーまずは芸人になるまでの経緯についてお聞かせください。
もともと小2から大学まで野球をやっていて「将来はプロ野球選手として飯を食っていきたい」と思っていました。
ーー調べによると早稲田大学出身ということですが、スカウトに注目されるなどの活躍はされていたのでしょうか?
全然です。神宮球場の新人戦で少し投げたくらいだし、部活も大学3年のときに辞めてしまいました。早稲田の野球部って、今の時代にはそぐわない昭和的な根性論が残ってて。古い組織なんですよ。OBや指導者もその体質が全然アップデートされてなくて。もうそれが耐えられなくて。
ーー強豪校の古い体質が合わずに辞めたと。
その通りです。途中で退部もしているので、事務所のプロフィールに大学名は書いていません。「早稲田大学野球部」がノイズになるのは嫌だったので。僕は、ただ純粋な面白さで売れたいんです。
ただ、野球部を辞めたからと言ってすぐにプロ野球選手の夢を諦めることはできませんでした。小学校からずっと憧れていたので。考えたんですよ。「日本の野球が合わないだけじゃないか」って。「そしたらもうアメリカ行くしかねぇか」ってことで、大学教授に相談しながらアメリカで野球を続ける道を模索しました。
ーーそこでアメリカが出てくるのがすごい。
でも、大学3年生っていろんな選択肢で悩む時期じゃないですか。就活が始まるタイミングだったし、SPIとか英検の本を買って準備だけしてたり。結局一回も開きませんでしたけど。で、ちょうどその時、中学から同じ野球部でやってきた友達に「お笑いやろうぜ」って誘われたんです。それでお笑いを選びました。
ーー急展開。友達の誘いが相当強かったとか?
正直はっきりは覚えてないです。でも、強引に誘ってきただけだったら跳ね返すと思うんですよ、僕のキャラ的にも。大学3年のときが2020年で、ちょうどコロナ禍だったんです。大学も全部リモートで、閉塞感が漂ってて。そんなときに「お笑いやらないか」って誘われて。今考えるとバカですよね。本当なんも考えてない。でも、ワクワクしちゃったんでしょうね。「お笑いかぁ」って。
裏切りは突然に
ーー芸人を目指すと決めてからの話を聞かせください。
お笑いに誘ってくれたヤツともうひとりの幼馴染と3人でトリオを組むことになりました。なったんですけど、いざ組んでみたらネタの方向性も笑いの価値観も全然合わなくて。しかも誘った張本人が部活忙しくてネタ合わせにも来ないし、もう2人でやるかってことでそいつを切ってJCA(プロダクション人力舎の養成所)に入りました。
ーー早々に1人脱落。
ちなみにそいつは今、古舘伊知郎さんがいる「古舘プロジェクト」でマネージャーをやっているそうです。
ーーなにその情報。
で、養成所入ったはいいけど、1年経って所属できなかったんです。フリーで芸人は嫌だなあと思って、なんとか入れる事務所を探して、ようやく仮所属させてくれるところが見つかって。そしたらその最初の面談で、相方が突然「ボートレーサーを目指したい」って言い出して。こいつ大ボケかましてきたなと思って「なんでだよ!」って強めにツッコんだらガン無視されて変な空気になっちゃって。そのまま仮所属の話も白紙になりました。帰り道に改めて「ごめん、おれやっぱりボートレーサーになりたいから試験の結果が出る12月まで待ってほしい」とか言ってきて。一体何を聞かされてるんだって感じで、もうわけがわかんなかったです。
ーーそれで…どうしたんですか?
完全に路頭に迷ってたけど、とにかく舞台だけは踏んでおこうと思ってました。フリーのピン芸人でも出させてくれる場所を探して「浅草リトルシアター」にたどり着きました。エントリーフィー無しで出演させてくれたので本当に助かりました。そこからは、浅草に通って舞台に立ちながら所属できる事務所を探したんですけど、これが全然うまくいかなくて。タイタンなんて3回受けて3回落ちてますからね。さすがに心折れかけて「向いてないのかな」「次落ちたらお笑いやめよう」って思ってたら先輩にマセキを勧められて、受けてみたら1発で受かった、という感じです。結局、相方からの連絡はなくてコンビは自然消滅でしたけど。
ーー友人に誘われたこときっかけで始めたお笑いですが、ピンでも続けられたモチベーションはなんだったんでしょうか。
ぼく、学生時代に合コンで出会った子に7回告白したことあるんですよ。
ーー怖い話?
違います。その子が野性爆弾のくっきーさんの大ファンだったんです。特製のキーホルダーまで付けるくらい。だから、僕もくっきーさんみたいになろうと思いました。
ーーつまり、お笑いが好きな子を振り向かせるために芸人として売れてやる!がモチベーションだったということですね。かっこよさではなく、面白さで。
かっこいい路線は無理ですから。
ーーこれはお世辞抜きに、村上さんはすごく顔立ちが良いなと思いました。言われません?
それ、芸人になってから言われるようになりました。「俳優顔」とか「役者顔」って。この前も浅草の食堂で、お金ないから白米と味噌汁だけ食べてたんです。そしたら競馬中継見てた常連らしきおっさんが「お兄ちゃん、何かやってるでしょう?」って。何でか聞いたら「役者顔だからねぇ」って。しかもその後「お代は払っとくから」ってご馳走してくれました。
ーー浅草が過ぎる。人情の街ですね。
ーーところで「村上、元気そうでよかった」っていう芸名の由来は?
元々は本名の「村上」だけでやっていたんですけど、ライブ主催の方から「検索しやすい名前にした方がいい」と言われてて。どんな名前がいいか考えて「村上文明開化」という名前にしたんですが、マネージャーさんから「壮大なコントをしそうだ」と止められました。
ーー(マネージャーさんありがとう)
結局、友達と喋ってるときに「元気そうでよかったね」っていう口癖が出て「それ良いじゃん」ということで決めました。テレビで活躍している姿を見て「村上、元気そうでよかったな」と思ってもらえたら嬉しいです。
2023~2024年の主な受賞歴とメディア出演歴
佐久間Pとのプロレスから掴んだ『ゴッドタン』のチャンス
ーー2024年を振り返ると、たくさんテレビ出ましたね。それこそ「村上、元気そうでよかったな」って思ってくれてる人も多いんじゃないでしょうか。振り返ってみてどうですか?
やっぱり3月の「ゴッドタン」に出れたのがデカかったです。でもそのきっかけは、おそらく『UNDER25』(25歳以下の芸人No.1を決める大会)の決勝だったと思います。
ーーなるほど、その賞レースで相当ウケたと。
逆です。ボロカスにスベりました。でもそこで佐久間さん(ゴッドタンプロデューサー)と平場でプロレスになったんです。佐久間さんが審査委員長で「全然ダメじゃん」みたいに言ってきたので「そんなことないでしょ!」って。そのまま言い合いになって、それがめちゃくちゃ盛り上がりました。そのあとに『この若手知ってんのか』のオーディションがあったので、あのとき負けて騒いでよかったなって本当に思います。
ーープロレスできる芸人好きそうだもんなぁ佐久間さん。ゴッドタンで大学お笑いに噛みついてるところ、めちゃくちゃ笑いました。反響ありました?
大学お笑い界隈から全然話しかけられなくなりました。
ーーなんかごめんなさい。
違うんですよ。普通逆だろ!絡んでこいや!って思います。そういうところだぞって。より一層、一人でのし上がっていく力を身につけようと思いましたね。
ーー後編の最後、MVP取ってHなご褒美もらってたところも最高でした。
ありがとうございます。撮れ高次第で前編後編に分けるみたいだったので、収録後の酒は格別でした。バイト先で「ゴッドタンの人ですよね?」って握手求められたり、番組収録の前説行ったときにプロデューサーさんから声かけられたり。
ーーさすが「ゴッドタン」。ご家族の反応はどうでしたか?
残念ながら僕の親は「ゴッドタン」の凄さを知らなかったので、そんなにでした。でも『有吉の壁』は喜んでました。最初は芸人になること自体反対されてたので、これからもっとテレビで活躍する姿を見せて安心させていきたいです。
演技に宿る”劇団ひとりイズム”
ーーゴッドタン放送後、どんなネタをするのか気になってライブを観に行きました。すごく良い演技をするなあと思ったのですが、ネタで演技をするうえで意識している人、影響を受けた人はいますか?
それはもう、劇団ひとりさん一択です。ピン芸の最高峰だと思ってます。
ーーやっぱり!ネタを見たとき、なんとなく「劇団ひとりイズム」を感じたんですよ。
本当に大好きです。アンタッチャブルさんとかおぎやはぎさんと一緒に出てた『リチャードホール』は幼稚園のときから見てました。当時は小さかったので「楽しいことやってるな」くらいだったんですけど、改めて大人になってからDVDを借りて見て、やっぱりめちゃくちゃ面白かったです。他にもお笑いホープ大賞の動画とかYouTubeにあがってるのを見て、やっぱり当時から存在感が1個抜けてんなっていう感じですね。
ーーまさに憧れの人だ。収録でお会いしたときは話せました?
いえ、楽屋挨拶も制限されていたので、収録以外では話せませんでした。でもそれでよかったです。もちろん大好きで尊敬してますけど、もうただのファンではいられないし、いち芸人として接していかなきゃいけないんで。とはいえ、劇団ひとりさんがいなかったらピン芸人としてやっていくのは厳しかったと思います。「ああいう風になりたい」という大きな目標でもあり、道しるべのような存在です。
「村上、元気そうでよかった」と言われる日を夢見て
ーー最後に、今後の展望を教えてください
まずは芸人として飯を食っていくこと。これが当面の目標です。ありがたいことに2024年はちょこちょこメディアに出させていただいて、それでも芸人としての収入は2~3万ですから。ライブだけだと相当厳しいです。
ーーたしかに。これからどんな番組に出たいとかありますか?
やっぱりお笑いの番組ですね。『チャンスの時間』とか『くりぃむなんたら』とか、お笑い濃度の高い番組に出たいです。あとは『有吉の壁』。前回は夕方放送の予選会で、ゴールデンの本放送に出れなかったので絶対にリベンジします。『有吉の壁』こそ僕の求めているものが出せる番組だと思うので、あれ以降は毎週欠かさず放送を見て研究してます。
ーーすごく熱意が伝わってきます。ブレイクして、憧れの劇団ひとりさんとの共演も増えるといいですね。
そうなるように頑張りたいです。ただ、憧れて真似るだけでは二番煎じなので、「村上、元気そうでよかった」という新しいジャンルを作っていきたいです。まだ見つかってないですが。そのあたりは呼んでいただけるテレビの収録やライブで先輩方に揉まれながら平場で磨いていきたいです。
ーーますます楽しみです。2025年はどんな年にしたいですか?
今はまだ若手として呼んでもらうことが多いけど、NEXTブレイク芸人として出れるようになっていきたいです。「若手だから」ではなく「面白いから」という見られ方をされるようになっていきたい。とはいえ、呼んでいただけるならなんでもやります!呼んでください!!
編集後記
コロナ禍でお笑いの道に誘われて「ワクワクした」と発言する姿には、大器の片鱗が見えました。テレビや舞台で見せる彼の姿が、きっと新たに誰かの心をワクワクさせて、いつか多くの人が「村上、元気そうでよかった」と心からの笑顔で言う日が来ることを楽しみに応援していきたいと思います!