モノマネきっかけでプールからリングへ。
"朝倉海”激似の水泳芸人が辿る軌跡

本多スイミングスクール

所属:グレープカンパニー
活動開始:2011年
  • 本多スイミングスクール (1989年5月10日)
インタビュー
コンテンツ情報

大学4年。
周りが就活する中、NSCへ

――このインタビューでは、本多さんが芸人になったきっかけや経緯について深堀りしていきたいと思ってます。よろしくお願いします!それではまず、いつ頃から芸人になろうと思っていたのかお聞かせください。

本多スイミングスクール(以下本多): 中学生くらいから漠然と「お笑いをやりたいな」と思っていたのですが、親に言い出せないまま気付いたら高校3年生になってました。

本多: それで、地元の大学に進学したら芸人にはなれないと思っていたので、なんとかして地元を離れるために京都の大学に進学しました。

――なるほど。Wikipediaに「高校2年の新人戦で100メートル2位になった」と書いてましたが、大学は水泳で進学を?

本多: いえ、普通に受験しました。二人の兄は四国で1位になったり連覇したりですごかったけど、僕は全然でした。

――水泳一家だったんですね。「芸人になりたい」って親に言い出せたのはいつ頃なんでしょうか?

本多: 大学4年のときです。周りが就活してるなか、僕はNSC(吉本興業の養成所)に通い始めました。

本多: しかも、なかなか言い出せなかったので、通い始めてから伝えたんですよね…。

――うわ、事後報告。ヤバイっすね。どんな反応でした?

本多: 「えー!?」って感じで驚かれました。大学では放送部に入ってたので、てっきりアナウンサー志望だと思ってたみたいです。まさか芸人か…と。

本多: ただ、それまで何も考えずに生きてきて、はじめて自分からやりたいことを伝えたので、「やりたいならやりなさい」と最終的には納得してくれました。

ウケすぎて水漏れ?本多スイミングスクール、誕生

――晴れて親の了承を得て芸人の道へ。NSCはどうでした?

本多: NSCでは、演技とかダンスとか色々な授業があったんですけど「ネタが面白かったらええやろ」と思ってたので、ネタ見せの授業しか行ってなかったんです。

本多: そしたら出席日数が足りなくて卒業できませんでした。

――なにしてんすか。

本多: 変な尖り方をしてました…。そこからはいろんなコンビを組んで活動してたんですけど、たまたま当時の相方が風邪で来れないときに、ピンで水泳漫談をしたんです。それが思ったより評判良くて。

本多: その劇場が5階にあって水漏れしてたんですけど、ウケすぎて水漏れしたんじゃないかって言われるぐらいウケました。

――すごい!よっぽどウケたと。

本多: 人生で初めて天狗になりました。で、そこからピンで活動することが増えていきました。

本多: 最初は「ホワイティ本多」とか「びっくり小谷坂」っていう名前でやってたんですけど、同期のムラムラタムラから「水泳のネタやってるんだから”本多スイミングスクール”の方がよくない?」って言われて今の名前にしました。

――りーもこちゃん!大阪では何年くらい活動を?

本多: 3年くらいですね。ピンでやっていくうちに、自分のスタイルなら一発屋しか道はないと思ったので、思い切って上京しました。

――まさに一念発起。

本多: はい。上京後は、エントリー代2,000円払ってフリーでも出れるライブに出まくって、いろんな事務所のオーディションを受けて、1年後に今の事務所に拾ってもらえました。

――本当はどこに行きたかった、とかありますか?

本多: …サンミュージックさんです(近くにマネージャーがいるから小声で)。

本多: でもキャラが薄いと断られました。グレープさんには本当に感謝しかありません。

”朝倉海”激似芸人、ブレイキングダウンへの道

――ブレイキングダウンについて聞きたいです!どんな流れで出ることになったんですか?

本多: 芸人仲間に勧められて、朝倉海さんのモノマネをXにアップしてみたんです。そしたら「本当に似てるか?」って本人が引用してくれて。それきっかけでYouTubeに呼ばれるようになったりしました。

――SNSすげぇ…YouTubeはどんな内容を?

本多: ドッキリですね。子どもたちの前でネタをやろうとしたらブレイキングダウンのいかついメンバーしかいなかった、っていう内容で。

本多: それがけっこう反響あって「本当にオーディション出てみたら?」と話をいただいたんです。

――痺れる展開。

本多: とはいえ格闘技の経験もないし、断ろうかと思ってたんですよ。でも、奥さんに相談したら「チャンスだから出たほうがいい」と背中を押してくれて、思い切って応募したら受かってしまいました。

――芸人の嫁ですねぇ。にしても受かるのがすごい。

本多: オーディションに元芸人のぬりぼうさんという方がいて、その人から対戦相手に指名されて戦うことになったんです。放送を観た母親からは「いますぐ辞退しなさい」って心配の連絡がきたんですけど、父は「まさと(本名)が選んだ人生なんだから好きにさせなさい」ってめちゃくちゃ怒ったらしいです。

――素敵なご両親。で、いよいよやるしかなくなったと。

本多: はい。海さんの指示で毎日バーピーやったり、海さんのジムでスパーリングとか練習を2ヶ月ほど。ある日のライブでめちゃくちゃスベって、そのあとジムで「僕にはもうこれしかない!」って一心不乱にやってたら「今日の本多さん、気持ちが乗ってて良いです。イケますよ!」って褒められました。

――熱い。結果は残念ながら判定負けでしたが、反響は大きかったんじゃないですか?

本多: すごかったです。いろんな人から声をかけられるし、心配してた母からも「もし次もあったら出なさい」って連絡が来ました。

――お母さんもビックリですよね。え、また出るんですか?

本多: いやー勘弁してほしいですね…ただ、海さんが活躍するほど僕もモノマネ芸人としてチャンスが来ると思うので、今後もモノマネはやり続けたいです!

いざ、芸能界の荒波へ。今後の展望

――それでは最後に、今後の展望についてお聞かせください。

本多: 昔は「水泳一本で進みたい」って思ってたけど、今はとにかくいろいろ試しながら「本多スイミングスクール」を認識してもらって、芸能界で生き残っていきたいです。

――いいですね。朝倉さんのモノマネも水泳ネタもやりながら。あとはやはり『R-1』ですかね?

本多: そうですね、もちろん『R-1』でも結果は残したいんですけど、ちょうど先日、永野さんから「今のピン芸人はR-1に集中しすぎるから、あんまり考えすぎないほうがいいよ」というアドバイスをもらったばかりなんですよ。ちょうど僕もネタのことで悩んでいたので、それを聞いてすごく楽になりました。

――出た、永野さん。永野さんの言葉には芯があるというか、説得力があってすごく好きです。

本多: すごくわかります。永野さんの言葉は正しすぎるんですよ。前に、しんいちさん(お見送り芸人)と永野さんと一緒にユニットライブをやった時も、「賞レースで有名人を揶揄するネタは絶対にやらない方がいい。審査員が同意することになっちゃうから」って仰ってました。特に芸能人なんて、周りの評価ばかり気にしてる奴らばっかりなんだから、って。

――永野さんだなぁ。すみません、絶対に最後に聞くことじゃないんですけど、元サッカー日本代表の平山相太に似てるって言われません?

本多: たまに言われます!他にもDef TechのMicroさんとか浜口京子さんとか、あとは織田信成さんとか。

――織田信成さん!めちゃくちゃ似てます!テレビで共演してるところ観たいです!

本多: ありがとうございます。テレビで言ったら『お笑い向上委員会』にもう一度出たいです。昔モニター横で出させてもらって、さんまさんが「バシャバシャ!」と「ビート板でガード」を気に入ってくれたんですよ。今度は出れるときは、ひな壇の方で勝負してみたいです!怖いですけど。

【編集後記】

本多さんが出演するライブですごく気になるものがあります。それが『THEピーターパンジュンコローム秩序MAX』です。噂によると、冒頭から出演者が10分以上小道具でシバき合ったり、煽ってきたお客さんとキスしたり。良い意味で「狂ってるなー」と思いながら毎回Xでレポを見てます。隔月で開催されているそうなので、この記事を読んで気になった人は、本多さんのXを今すぐチェックして、狂気と笑いが交錯する無秩序な空間を体験しにいきましょう(そのライブの主催でもなんでもありませんが、気になるライブだったので勝手に告知させていただきました)。

PROFILE

本多スイミングスクール

所属:グレープカンパニー
本多スイミングスクール
生年月日:1989年5月10日
出身:愛媛県松山市
本多スイミングスクール
特技:水泳(愛媛県新人戦100m 背泳ぎ2位、総体四国大会200m 背泳ぎ5位)、モノマネ、一発ギャグ

  • カメラマン
    杉本大希
    1992年生まれ。フリーランスのフォトグラファーとして主にファッション誌の現場で活動。息抜きはサッカー観戦、好きなジョッキは和田竜二騎手。
  • ライター
    吉田朋哉
    1988年生まれ。青森県八戸市出身。好きな家系は「二代目武道家」の九条ネギラーメン(硬・濃い・多め)