
「弟さん」と呼ばれて。芸人を志した原体験
――まずはじめに、芸人になろうと思ったきっかけを教えてください。
永田: 幼少期、おじいちゃん家の近くに商店街があって、兄と二人でよく泊まりに行ってたんです。みんな仲良しの商店街だったから、そこに行くと可愛がられるんですけど、兄は「ダイちゃん(兄の名前)来たの!」「大きくなったね、ダイちゃん」って名前で呼ばれるのに対して、おれには「弟さんも一緒だね」「弟さんは何歳になったの?」って。
永田: 子供なんだから容姿で優劣が出る前じゃないですか。それならちっちゃい方がより可愛いはずなのに、おれだけ「弟さん」。
永田: それがすごく引っかかって。「兄中心の地球か」と思ってしまいました。たぶんそれが、何かしらになりたいと思うようになった一番根本の欲求です。
――まさに原体験。ちゃんと名前で呼ばれるような存在になりたいという。
永田: そうですね。商店街がシャッター街になった時は「ざまあみろ」と思いました。親しみやすさだけを売りにして、客を一人一人ちゃんと見ていなかったからそうなったんだ。
――「何かしらになりたい」という思いがある中で、なぜ”芸人”を?
永田: お笑い自体好きじゃなかったんです。テレビでバラエティを見ても「うるさいな」と思ってたし、無理やり明るく振る舞う感じが全然わからなかった。にぎやかな人たちのテンションが苦手で、“お笑い=騒がしいもの”だったんですよ。
永田: でもある時、家族に連れられて『明日があるさ THE MOVIE』を観に行ったんです。浜田さんが病院に行くシーンで、医者役の松本さんがレントゲン見ながら「体の中に醤油差し入ってますね」って言うくだりがあって。弁当に入ってるような、透明な魚の容器。あれがすごく面白くて。
――「きっかけはダウンタウン」はよく聞くけど、かなりレアですね。
永田: バラエティをほとんど見てなかったので、ダウンタウンさんが人気者というのも知らなかった。でも、あの映画を見て「こういう面白い人がいるのか」と知って、そこからお笑いの印象が変わりました。『ガキの使い』も観るようになったし、二人の会話の幅広さに惹かれて、ぼんやりと芸人に憧れるようになってました。
永田: 決定的だったのは、2005年の『M-1』でブラックマヨネーズさんが優勝したとき。なんというか、元気にふざけてるわけじゃなくて、言ってることで笑いを取ってる。理屈とか、ひねくれとか、言葉の選び方で勝負してる。それがすごくカッコよく見えたんです。「おれがやるならこのルートだ」って一気に見えた気がしました。
真空ジェシカとまさかの合コン
――永田さんについて調べていたら「学生お笑いの大会で優勝」と出てきました。このあたりの話をお聞かせください。
永田: 『学生HEROES!』という番組の企画で、大学生のお笑いNo.1を決めようっていう大会があったんです。そこに「スパナペンチ」というコンビで出て優勝しました。決勝には、いま活躍してる真空ジェシカやトンツカタン森本もいて。その中で圧勝でしたから、あれは本当に嬉しかったですね。
――「圧勝」って言えるのカッコいいです。
永田: これに関しては川北(真空ジェシカ)も言ってたんです。スパナベンチは『THE MANZAI』の予選に出たんですけど、最初1回戦で落ちたんですよ。そしたら川北がTwitterで「学生の大会で圧勝したスパナペンチも、『THE MANZAI』では1回戦敗退。お笑いに絶対はないんだ」と書いてて。
永田: 「わかる」って思いましたね。言いたくてしょうがないタイプの奴だなと。今言うと後出しっぽくて嫌なんですけど、おれらが優勝した大会で唯一面白いと思ったのが真空ジェシカだったので。
永田: 今まさに面白くなろうと”もがいてる”人間の言葉は信じられるし、「気が合うかもしれない」と思いました。
永田: その後、『学生HEROES!』つながりで、学生芸人がプロと対決する企画があって。おれらニューヨークさんと戦って3対0で勝ったんです。
――ニューヨークさんに!すごい!
永田: あれは嬉しかったし、楽屋に戻ったら告白されました。
――こ、告白?
永田: 3:0で勝ったのを見て恋に落ちたらしく。いま相席スタートで活躍してるケイさんが別のコンビで出場してたんですけど。
永田: 対決後に楽屋で「好きです。そういう意味で好きです。連絡先交換してください」と。意味わからないじゃないですか。初対面で、ネタ終わった直後に「好きです」って言われても。
永田: 数日後に電話が来て、どうやら女芸人たちと飲んでるから来ないかと。いや、キツすぎる。一人じゃ無理だ。それで真空ジェシカに連絡して3人で行きました。たぶんあれが初の誘い。
――それって合コンになるんですかね?
永田: たしかに。あっちも3人だったので、形としては合コンですね。
――なるほど。あっちは永田さんのことを好きで誘ってるんですもんね?それはもう確定ルートですね?
永田: 全然、なにもなかったです。あっちは先輩で、川北はお笑いに興味津々で、ずっとお笑いの質問してて。横でウーロン茶飲んでたら終わりました。
――さすがに下心出していい場面だと思います、そこは。
永田: 下心より恐怖が勝ってました。芸人の上下関係がどれくらい厳しいかも分からなかったし。
永田: 人力舎を選んだ理由のひとつも「体育会系のノリはしんどいかも」っていうのがあったんです。結果、人力舎は優しい人しかいないから平和でよかったです。
栄光と絶望の認定漫才師
――学生お笑いで優勝し、ニューヨークさんにも勝ったスパナペンチ。その勢いのまま、人力舎にはスカウトで入られたそうですね。
永田: はい。いろんな事務所から声はかかったんですけど、特に人力舎が一番熱心に誘ってくれたので入りました。
――「おぎやはぎさん以来のスカウト」だったと聞いてます。
永田: そうです。スカウト自体が異例なことだから、事務所に入ったらイジメられるんじゃないか不安でした。正直に相談したら「友達を1組連れてきていいよ」と言ってくれたので、真空ジェシカを誘いました。
――これは大学を卒業して直後?
永田: いや、2012年だから大学3年。それで翌年、大学4年のときに『THE MANZAI』の認定漫才師に選ばれました。
――大学3年でスカウトされてプロデビューして、2年目で認定漫才師に…
永田: 認定漫才師は50組だけなんで『M-1』だと準決ぐらい。自分たちでもビックリしました。
永田: しかも、準決勝初戦の東京予選*でいきなり2位を取ったんです。ウエストランドさんやインディアンスさん(現・ちょんまげラーメン)もいる中で。これは本当にざわつきました。
※『THEMANZAI』の仕組み: 1,2回戦を経て50組の認定漫才師が選ばれたあと、準決勝(本戦サーキット)が東京・大阪で計5日程行われる。好きな会場で2日程ネタを披露し、その合計ポイントで決勝進出者が決まる。
――凄すぎて言葉が出ません。
永田: だから、ほぼ決勝確定なわけですよ。よっぽどのことが起きなきゃ。自信ない方のネタで2位を取ったので。もう1本の自信あるほうのネタを東京でやるなら、大丈夫だろうと。
永田: これはもうハッキリ言いますけど、おれらの2戦目、大阪にされたんです。勝手に。マネージャーが来て「2戦目、大阪にしちゃった」って言われました。
――えっと…なんで?
永田: 理由はないです。「ごめん、しちゃった」って。異常でしたよ。2位取った次の日に事務所でネタ見せがあって、芸人たちからは「おめでとう!」ってお祝いされるんですけど、事務所の人間たちはもう、全然違う。暗いんです。
永田: 「なんで2回目が大阪なんだ」って。かなりキツいぞ、と。吉本が天下の大阪で、人力舎の芸人が、しかも現役学生でいきなり2位取ったやつが大阪で。「めちゃくちゃウケないと思う」ってハッキリ言われました。
――たしかに、大阪の人が嫌いそうな全ての条件が揃ってる感が。
永田: やる前から決勝行けないくらいの空気だったから、そんな事あるの?と思っていろいろ調べました。東京で2位取れて決勝行けなかったやつなんているのかと。唯一いたんですね。マヂラブ(マヂカルラブリー)さんでした。東京で2位取って、大阪で致命的なスベり方をした。そういうのも起こりそうなコンビではあるんですけど。
永田: とはいえ最低限の点は取れるだろうって思ったら、最下位。甘く見てた。ネタやりながら「これは嫌われてるな」って感じました。
――完全なアウェイ。笑う姿勢がないのは厳しいっすね。
永田: 後日、マネージャーから決勝進出の結果について電話が来たんですけど、その第一声が「おめでとう」だったんです。「敗者復活に行けました」「大学生でこれはすごい」っていう言い方で。2戦目を大阪にしたミスを自分のせいにしたくなかったんでしょうね。
――非常によくない。
永田: そこからはいろんな人にストレスをぶつけてました。「おめでとう」って言ってくるやつには「いや、おめでとうじゃないじゃん。明らかに失敗じゃないか」ってキレてたし、大学の後輩に「どうだったんですか?」って聞かれて「敗者復活になっちゃった」って言ったら「あぁ」って。それにはそれで「あぁ」ってなんだよ。学生で敗者復活、すげーだろって。
永田: もうおかしくなってたから、両方にキレちゃってた。ダントツ1位で、人生最大のストレスです。次第にコンビの空気も悪くなって、2014年にスパナペンチは解散しました。
――2012年のデビューから3年で。怒涛。
永田: 解散については、大阪で最下位を取ったから、ではないんです。全部のきっかけではない。要は、苦労せずに上がってしまったから、チャンスの重みを理解できてなかった。浮ついてたんですよ、単純に。
永田: あと、学生時代にできた渾身のネタを出し切ったから「このコンビでこれ以上はできないかも」と思っちゃって。すぐ解散しました。
永田: 解散後は事務所を離れてフリーでやってて、昔の同期に誘われてコンビを組んで戻りました。すぐ解散しましたけど。そこからはピンで今に至ります。
永田敬介、20人でディズニーに行く
――ここからは気になるところを。プロフィールの趣味に「1人ディズニー」とありますが、どのくらいの頻度で行かれるんですか?
永田: 昔は年1とかだったけど、最近は月1。ライブが3日空いたら視野に入れちゃいます。というのも、最近アトラクション内で写真を撮っていい場所が増えたんです。そうなると、今まで撮れなかった箇所を撮っておきたくて。気付いたら頻度が増えてました。
永田: 例えばレストランでも、その世界観のためだけに架空の新聞が貼ってあったり。そういうのを撮るのも楽しい。写真を撮るようになってiPhoneのすごさを知りました。
――撮った写真はSNSにアップしたり?
永田: いつかするかもしれないです。でも、本当にやりたいのは、昔あった「ディズニー紹介VHS」みたいな映像を自分で作ることです。収益化してないなら、撮影した映像をYouTubeにあげてもいいらしく。だから、個人的な趣味でディズニーを紹介する映像を作りたい。
――永田さんの解説付きならめっちゃ見たい。ディズニーの写真って見れたりします?
永田: (スマホを見せながら)これ、好きなやつ。ジェットコースターの身長制限ボードに、小動物の家がついてるんですよ。このエリアはいろんな小動物が住んでる設定で、こんなところにも住んでるんだよって紹介するのをやりたい。
永田: (引き続きスマホを見せながら)あと、ミッキーの家の裏庭。建物内なんですけど、疑似屋外になってるんです。なかなか無くないですか?ここめっちゃ好きで。
――すごく好きが伝わってきます。そういえば以前、大勢でディズニーに行ってる投稿を見かけました。
永田: ディズニーシーに新エリアができた時ですね。ラジオとTwitterで呼びかけたら20人集まりました。ほとんど人力舎の後輩ですけど。
――20人!なんでまた大人数で?
永田: 一人で混んでるところに行ったら、新エリアのことが嫌いになりそうじゃないですか。だったら、大人数で行って混ませてる原因になってしまえばと思って。
――すみません、どういうことでしょう?
永田: めっちゃ並んでても「まぁおれらが一番混ませてるしな」って納得できるから。
――どうせ混むなら、いっそ混ませてしまえと。(混ませてる?)
永田: もうひとつは、初めて乗るアトラクションを一番良い席で見たかった。大勢で乗ったら身内で貸切状態になるし、席も交換できる。どんなにお金があっても、良い席に座れる権利は買えないので。
永田: アナ雪のアトラクションとか、早いと8:30には予約枠が埋まるから、6:00に集合しました。誰も遅刻しなかったし、なんなら近くのスーパー銭湯で前乗りしてるやつもいたくらい。
――モチベーションが高すぎる。
永田: とにかく楽しかった。夜まで話すことが尽きないし、普段なら絶対買わないスプラッシュマウンテンの2,000円くらいする写真もさすがに買った。
――失礼ながら、後輩を可愛がるタイプだと思ってなかったので、知れてよかったです。
永田: 人力舎は先輩が少ないんですよ。どんどん売れずに去っていくから。そんな中で、おれみたいなタイプは自分から動かないと、コミュニケーションは築けない。後輩からも話しかけづらいだろうし。
永田: あと、一度事務所を退所して戻ってきたときに、精神が1年目に戻ってますから。人間横丁とか1、2年目の子たちとおれはやっていくんだ、という気持ちでいます。
ひねくれも、芯。
――最後に、永田さんがどういう人に惹かれるかを聞きたいです。芸人さんで惹かれる方はいますか?
永田: 事務所の先輩で言うと、岡野(陽一)さん。おれはさらば(青春の光)さんのファンでYouTubeをよく見るんですけど、明らかに“確率外の出来事”を起こしすぎてるんですよ、岡野さんは。
――人狼の馬券のやつとか。
永田: そう、「馬狼」。あの第1回は、考えうる中で最高の展開と終わり方で、岡野さんの力によるものがかなり大きかった。海外ロケのカジノ企画も本当にすごかった。なんというか、「何かあったときに着いていこう」と思わせる人です。
――そういう”持ってる”部分に惹かれると。先輩以外で惹かれる芸人さんっています?
永田: 「ド桜」の村田君ですね。岡野さんもそうなんですけど、圧倒的にコミュニケーション力が高い。おれみたいなのにもガンガン話しかけてくれるし。パワフルというか、生命力が高い人は魅力的だなと思います。
――自分にないものを持ってる人に惹かれる感じでしょうか。この流れで、自分に足りないもの、コンプレックスをひとつ挙げるとしたら?
永田: 世の中の出来事には、ほとんど賛否があるじゃないですか。感動的な話でも「いや、これはどうなの?」って意見も必ず出る。でも、あの5ちゃんねるですら全員が感動するような出来事がたまにあるわけですよ。
永田: で、そういう状況すら嫌になってしまう自分の性格の悪さですかね。おれのコンプレックスは。
――お涙頂戴な空気に嫌気が差す、と。
永田: めっちゃ感動のシーンとか見ても「わかるけど、これ良いって言わなきゃダメなやつ?」って思った瞬間、全て嫌になっちゃう。本当に良い話でも。
――基本的には周りに同調しないスタンスで。
永田: そこで感動して泣いてるやつも平然とイジメとかするしな、って。だから最近は、感動するような話は見ずに蓋をするようなダメな人間になってしまった。アレルギーですね、雰囲気アレルギー。
――言ってしまえば「ひねくれてる」なんですけど、それが永田さんの魅力のひとつだと思います。
永田: 昔からずっとそんな感じで。『学生HEROES!』の時も、卒業する先輩に感動の手紙を書く企画があったんです。おれと川北以外は「みんなでやりましょう!」の空気だったけど、マジで絡みもないし何の思い入れもない先輩だったから「ちょっと無理です」って断りました。
――川北さんもやっぱりこっち側だった。
永田: でも手紙は書かなきゃいけなくて、ユーモア混じりに書いたんですよ。「先輩のことはあんまり知らないしおれが勝ったけど、卒業おめでとう」みたいなことを。
――舐め腐ってますね。
永田: 尖り真っ盛りだったので。結局書き直してくれって頼まれたんですけど、そのとき「あの永田が真剣になった、っていうのをちょっとやりたくて」と言われて。
永田: あれは本当に嫌だった。そんな演出に使われるくらいなら、最後までひねくれでいきたい。
――芯のあるひねくれ。
永田: ちゃんと優しさは別のところで、近しい人には優しくしようと思ってます。
――それがいいと思います、本当に。ありがとうございます!もうお時間なので、最後に駆け込みで。「2030年の永田敬介はどうなっているか」を想像して教えてほしいです!
永田: 2030年だとさすがに厳しいけど、おれが「戦争やめないとネタやってあげないよ」と言ったらどの国も戦争をやめるような、お笑いの力で範馬勇次郎のような事ができる存在になりたいです。
――大統領が変わるたびに宣誓される、みたいな。
永田: 範馬勇次郎は腕力ですけど、お笑いでも出来ちゃうなっていうか。平和な方がいいですからね。平和じゃないと何もできない。
【編集後記】
取材前「周りからどんな人と言われますか?」という事前アンケートに対して、永田さんは「そんなことを本人に本音で言ってくるような距離感のおかしい人は周りにはいません」と答えてくれました。それもあって、少し身構えつつ臨んだインタビューでしたが、終わってみれば約2時間みっちり話してくれて(普段は2人組で1時間ほど)。永田さんの言葉は「喋る」というより「漏れる」に近いと感じました。蓋をしてもどこからかこぼれ出るような、整いすぎてないぶん嘘臭さがない。永田さんの沼に(闇に)引き込まれる方々の気持ちが少しわかったような気がします。載せきれなかった初恋の話は、トンツカタン森本さんのYouTubeに残ってます。まだの方は必ず見ましょう。

