とってのホームグラウンドは変わらなかった
野球とお笑いを
天秤にかけて
――まずは、芸人になるまでのことを教えて下さい。
得: 高校卒業まで奄美大島で過ごして、それから東京に出て養成所に入りました。
古茂田: 自分は脱サラして芸人になりました。大学を卒業してから2年間パナソニック系の会社で白衣を着て精密機械を扱っていました。
得: 奄美大島の進学校だったので周りはみんな進学なんです。芸人になりたい夢を親に「ダメだ」と言われて、高校卒業後はバイトしながらフリーターしていて。19歳の3月に宮崎、広島、福岡…と友達の家を転々としていたんですが、その流れで東京のおばさんの家に行って、バイトをしながら居候させてもらいました。でも最初優しかったおばさんが2ヶ月くらい経ったら急に「いい加減出ていきなさい」と(笑)。安いアパートを慌てて借りて、ひとり暮らしを始めました。で、ワタナベ(エンターテインメント)の養成所へ通うようになって…と。
――おふたりともコンビ名のとおり、高校野球経験者なんですよね?
古茂田: 愛知って『(吉本)新喜劇』だとか関西圏の番組が映っていた環境だったので、ずっと芸人になりたいと思っていて。でも小学生で松坂世代の試合を観て「甲子園へ行きたい!」と。愛知県で野球部が強い愛工大名電高校に入って、結局春夏合わせて3回甲子園に行きました。
――さらっとおっしゃいましたけど、すごいことですよね!
古茂田: そうですね〜。そこから大学も就職先も野球推薦で。でも、野球をしながらもずっと芸人になる夢も諦めてなかったです。就職して1年経ったとき、課長と野球部の監督さんに「芸人になりたいので会社を辞めさせてください」と言ったら止められて。そこから1年頑張って。結局合計2年やって、最終的に応援してもらいました。
――そのあと、養成所でおふたりは出会うことになるんですよね?
得: ワタナベの養成所で出会って同じクラスでしたね。別々のコンビでしたけど、当時から仲がよかったんです。で、ワタナベの養成所を卒業して、僕ら2組はそのまま所属できない組で揃って野に放たれました。そしたら、いつのまにか2組がくっついて4人組に、カルテットになって。「四国志」っていう(笑)。
何度も野に放たれて…
――カルテットではどんなネタを?
古茂田: 「結局ドリフ最強だよね!」ってことで、古き良きドリフっぽいネタをやってました。1年くらいですかね。
得: でも僕の当時の相方と古茂田の当時の相方がソリが合わなくて(笑)。4人もいると、あるあるなんですけどね。で、結局僕の相方が抜けて、残った3人でトリオになって。
古茂田: 「トリオ・DE・トリオ」っていうトリオ名で(笑)。そこから1年半くらいいろんなところにネタ見せに行って、ようやくケイダッシュステージさんに所属できることになったんですよ。やっとスタートラインに立てたーって。
得: オードリーの春日さんにメシに連れてってもらったりね。だけど所属が決まった翌日、もうひとりのやつが「やっぱり油まみれになって仕事したい」って言い出して。元々航空自衛隊出身のやつだったんですけど、「もっと飛行機とかいじりたい」と。
古茂田: 荻窪のサイゼリヤでブチギレました(笑)。それからトリオは解散になって、ケイダッシュの所属もなくなって。事務所のホームページには1週間だけ載って削除になりました。
――わ〜、結構絶望しますね…。
古茂田: 2013年とかで。ちょうどワタナベの養成所同期だったクマムシが「あったかいんだから〜」で売れだして。バイト先でもめっちゃ有線で流れて…焦りましたね。
得: 再びふたりで野に放たれまして(笑)。もう少しトリオでやりたい気持ちもあったので、ケイダッシュのネタ見せで出会った芸人を呼んで、また新たに「クライマックス」っていうトリオになって。
古茂田: 当時EXILEさんの『Lovers Again』が流行ってて、自分がATSUSHIさん役で、「ATSUSHIがカラオケ店員だったら…」みたいなネタをしてました。でも結局、その彼と得とがソリが合わなくなっちゃって…2015年には“クライマックス”を迎えて(笑)、トリオを解散しました。
――じゃそれでそのままふたりでコンビを?
古茂田: いや、みんな散り散りになって。でもなんとなくふたりで一緒に…ってお互い思ってたよね? で、渋谷のサンマルクでふたりで会うことになって。得が「こもちゃん、もう誰かと組むんでしょ?」って聞いてきて。
得: え、ちょっと待って待って! あなたが言ったんじゃない(笑)?
古茂田: 違う違う(笑)!
得: えー、うーん。まーまー、いいか(笑)。
苦楽をともにした時間と
野球という共通項と
――お互いなんとなく探っていたんですね(笑)。
古茂田: 何回も解散を繰り返してきたんで、やっぱりソリが合うのって大事だなとは思っていました。ふたりでやりたいなって。それで、ふたりで「果汁」っていう名前でコンビをはじめました。
――え、まだ「孝行球児」じゃないんですね!?
古茂田: それまでは野球色を一切出してなくて。「果汁」としてネタ見せでサンミュージック(プロダクション)へ行ったときに経歴書を見て「君たちはせっかくふたりとも野球やってたんだから、100人いたら2,3人が笑ってくれるようなピンポイントなネタをやって、おもしろがってくれる人に引っ張ってもらったほうがいいよ」とアドバイスいただいて。
得: あ、野球ネタに特化していいんだ〜と思って。そこから振り切ったらライブでもウケて。
古茂田: オフィス北野さんにもネタ見せに行ったら“預かり”としてお世話になることになったんです。当時まだ「果汁」だったので、コンビ名も振り切ろうと。学生時代にお世話になったトレーナーさんの繋がりで、プロ野球選手の皆さんに多数決をとって、「孝行球児」になりました。
目指すのは「なんかわからないけど、おもしろい!」
――ようやくここで「孝行球児」に!
古茂田: でもオフィス北野さんがちょうどいろいろあったときで(笑)。ランジャタイさん、馬鹿よ貴方はさん、スーパー3助さん(にゃんこスター)、キュウさん…たくさんいらっしゃったんですが。僕らはまた野に放たれました(笑)。
得: で、今は元オフィス北野のかたがつくった事務所にお世話になっています。
――オススメのネタについて教えてください。
得: 「テーブルをストライクゾーンに見立ててくるクレーマー」です。カフェでのネタ合わせ中、煮詰まったときにできたネタ。「このテーブルがストライクゾーンだとしたら、ここにおしぼりがあるとして」「じゃここにコーヒー」「シュガースティックは外にはずしたいから床に」…って。野球好きにはめちゃくちゃウケるネタです。
古茂田: あとは、YouTube(『孝行球児のくだらないチャンネル』)の「球場探訪」っていう企画。最寄り駅から球場までを歩きながら紹介するっていう。ロケ番組をイメージしてます。
――「球場探訪」!野球に疎くても気になります。
得: 全然(再生回数)まわらないけどやってて楽しい(笑)。でも究極は「なんかわからないけどおもしろい」を目指しています。
――最後にメッセージをどうぞ。
得: 僕らのネタは「考えるより感じろ」ですね! 「孝行球児」という字面を覚えてもらいたいです。
古茂田: 僕らをとおして、野球にも興味をもってもらいたいですね! 野球に恩返ししたいので。
【編集後記/by担当ライター小林】
「得さんが学生時代ラッパーに憧れてリリックを書いたけれど才能のなさに絶望した話、 古茂田さんが小学校の放課後、体育館でひとりコントをしていた話…編集後記の後記でまた書きます!」